1分1秒が窮地…

    投稿日:2014-12-19投稿者:

    おはようございます。
    フローマインドの岡田です。

     

    前回(12月12日配信)
    書かせていただいた “エッジ” の話。

    人は誰でもいつでも、
    じつはエッジで生きているのに
    それに気づいている人は少ない。

    でも、すごいことを成し遂げている人は
    例外なくそのことに気づいている…
    という話でした。

    エッジって、ついつい
    “場所” のことだと考えてしまいますが、
    “場所” や “状況” でエッジになったり、
    エッジじゃなくなったり
    するわけではないんですよね…。

    辻先生はこう言います。

     

    「みんなは窮地のことを
    エッジだと思ってるけど、そうじゃない。

    もしエッジが窮地だとしたら、
    いっつも窮地にいるってことなんだよ」

     

    なぜなら、窮地っていうのは
    外的な要因で出来ている窮地のことじゃなくて、
    今、二度とない瞬間を生きている
    という意味の “窮地” だから。

    それを窮地ととらえない人には、
    窮地ではないのでしょう。

    でも、今、もう二度とない瞬間を
    生きているということを
    “窮地にいる” と感じられる人は、
    そう感じない人よりも
    パフォーマンスが高いに決まってますよね…。

     

    「人生は常にエッジ。
    エッジじゃないときなんて、ないんだよ」

     

    そうかーーー!
    常に、毎秒がエッジなんだ!

    エッジがずーーーーっと
    連なっているのが人生。

    人生はエッジの数珠つなぎ!

     

    「土俵際で押し出されそうになったときだけ、
    さあ、エッジだ!と思って
    力を出しても遅いでしょう?
    そこで初めて力を出しても負けてしまう。

    土俵の真ん中にいても
    本当はエッジにいるってことに気づいて、
    自分のできる最大限のことを
    していないといけないんだよ。

    試合の3日前から慌てて練習してもダメ。

    試合の日にがんばるのはもちろんだけど、
    試合の 1000 日前も、
    二度とない 1000 日前で、
    試合の日も 1000 日前も、
    同じエッジなんです。

    ピンチのことをエッジと呼ぶのではなくて、
    この二度とない瞬間に、
    自分の最高のパフォーマンスを出す
    という責任に対して
    “エッジ” を感じられるか。

    そこが大事」

     

    この瞬間に、自分の
    最高のパフォーマンスを出すという責任…、
    それは、自分に対する責任、ですよね…。

    そこらへんの認識、私はすごく甘かったなあ…。

     

    「風呂に入るのもエッジだよ。
    今日の風呂は二度とない。
    その風呂で、最高のリラックスをする
    というパフォーマンスを出しているか。

    ボーッとするときも、
    最高の “ボーッとする”
    ってことをしましょうってこと。

    ボーッとしようって言いながら、
    ボーッとできてないやつがいっぱいいるから」

     

    先生、痛いところつきますね…。
    ほんとにそうなんです。
    私、リラックスしたいときにもどこか緊張してて、
    集中したいときにもどこかポケーッとしてます。

    ボーッとするのもガンガン仕事するのも、
    どちらもエッジでのこと。

    どちらにもライフスキルが必要です。

    ライフスキルがあると、
    人生の “エッジ感” が際立ってくるはず。

    常にエッジを感じながら、
    二度とない日、二度とない人生を
    思い切り生きていきましょう!

     

    岡田 綾

     

     

    P.S.
    あなたもライフスキルを磨いて
    エッジ感を高めてみませんか?

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