当たり前がなかったら?

    投稿日:2013-01-16投稿者:

    こんばんは。

    フローマインドの岡田です。

    <“あたりまえ”のありがたさ>

    突然ですが、昨年末に母が体調を崩し、

    自宅と実家と病院を行ったり来たりしています。

    いままで、そんなことがあるとは

    思っていませんでしたし、みんな

    元気でいるのがあたりまえ、

    というような感覚で暮らしていました。

    ベースに、”ふつうの生活”があって、

    そこから何をしていくか、そこに何を

    プラスしていくか、ということばかり考えていました。

    ところが、家族の病気で崩れることがないと

    思っていたベースが揺らぎ、あたりまえだと

    思っていた生活が、あれよあれよという間に

    自分の元から離れて、”あたりまえ”は、

    けっしてあたりまえではないんだ、ということに

    気づかされました。

    大きな出来事があって初めて

    ”あたりまえ”の大切さに気づくというのは、

    我ながら情けないのですが、

    ほんとうに、

    ”そうなってみなければわからないこと”って

    あるんだなあ、とつくづく思います。

    辻先生はいつも、

    ”今、ここ、自分”を大切にすること、

    と言っていますよね。

    何か自分にショッキングな出来事が

    降りかかって初めて気づくのではなく、

    そんなふうになる前に、二度と来ない

    今の大切さに気づいてほしいから、

    先生は一生懸命、皆さんにメッセージを

    送り続けているのだと思います。

    先生は、九死に一生を得る、という

    体験を二度もしていて、両方とも

    すごい体験なのですが、実際に自分が

    そういう体験をして、

    「生きていること自体がすごいことなんだ!」

    ということをほんとうの意味でわかっているからこそ、

    「人生の質を上げる」という今の活動に

    全力投球しているのではないかと思います。

    あたりまえのことは、じつはあたりまえじゃない。

    そういう思いをすると、あたりまえだと

    思っていたことがすごくキラキラして見えて、

    “あたりまえ”に心から感謝の気持ちがわいてきます。

    私の母も、幸い早い回復が見込めるだろうと

    主治医の先生に言われているので、

    私も精一杯の手助けをしていこうと思います。

    親のありがたさ、健康のありがたさ、

    ふつうの生活のありがたさ。

    どんな小さなことも、けっして

    “あたりまえではない”ということ…。

    「でも本当は、そもそもこの世に

    “あたりまえ”なんてないんだよ」と

    辻先生は言います。

    “あたりまえ”は、認知脳が作り出した概念だから、と。

    “あたりまえではない”ではなく、

    “あたりまえ”など、元々ないということなんですね。

    そのことを忘れずに、

    今を大事に、自分を大事に過ごしていきます。

    今日もお読みいただき、ありがとうございました。

    岡田 綾

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